ブリエアの解放者たち

著者:ドウス昌代
 タイトルからは内容が推測できないが、第二次世界大戦時の日系二世部隊をテーマにしたノンフィクション。「ブリエア」は、二世部隊が開放したフランスの町の名前である。著者は日系人かと思っていたが、渡米してアメリカ人と結婚した女性。
 真珠湾攻撃後、アメリカの日系人たちは強制収容所に入れられた。忠誠を証明するために志願した二世たちによって部隊が編成され、ヨーロッパ戦線で活躍した。この程度のは知っていたが、読んでみると基本的なことでも知らないことがあった。
  • 日系人の全員が強制収容所に入れられたわけではなかった。
  • 日系人部隊の編成は、初めは政府に否定されていた
  • 第100大隊と第442連隊の関係
  • 志願兵だけだったのは最初だけ

 ハワイでは強制収用が行われなかったために、多くの志願者が出る。親も賛成し、パレードまで行われている。
 一方の本土では、財産も自由も奪われた強制収容所の中。志願した場合の、家族の身分保障も約束されない状況である。約束されないどころか、初期の除隊兵は、勲章を胸に強制収容所に帰らざるを得なかったと述べられている。親の反対を押し切っての志願となり、当たり前だが志願者数も少ない。あまり詳しく述べられていないが、日系人同士の対立もあり、戦後も相当わだかまりが残っただろうと思われる。

 一度は否定された日系人部隊の編成が、一通の手紙をきっかけにして、一転して認められる。この問題の検討に、黒人問題が微妙に影響していることも、意外だった。

 戦場に出てからの活躍では、第100大隊のカッシーノの戦いと、第442連隊の「失われた大隊の救出」が山場となっている。「失われた大隊」とは謎めいた言葉だが、要するに敵の勢力圏内で孤立してしまった部隊のこと。第442連隊は、救出作戦で多大な犠牲を出すのだが、著者は師団長の指揮に問題があったと厳しく指摘している。
 戦闘記録と兵士の証言から戦闘シーンを再現しているのだが、「何日の何時何分に、このような報告が行われた、または命令が出された」と描写されている。ここまで詳細に戦闘記録をとり、戦後何十年(この本が出版されたのは1983年)も保管されているとは、アメリカはすごい国だなあ。

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